佐伯香也子のブログ

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闇の表現者たち

性的なフェティシズムの世界に身を置いていると、それらがある種のアートと密接に結びついていることに気づく。
それは決まって、この世ではない世界へのあこがれを表現したものだ。

手足のない青ざめた人形、内蔵をえぐり出された女体、肥大したり増殖したりした女性器・・・・・・要するにそのほとんどが、破壊されたり改造されたりした女性の肉体なのである。
(なぜそれが女体でなければならないのかという理由は、そのうちまた書きたいと思っている)

そこではいわゆる健常こそが異常であり、この世における欠損や死が規定形であって、光ではなく闇がエネルギーを生み出している。
こうしたアートの表現者たちは、この世に生きることの違和感を歌い続けているのだ。
かれらは決して大地に足をつけることなく、いわば地面から10cmくらい浮いた状態で、自分の苦痛から逃れようとしている。現実に直に触れることは、彼らをひどく消耗させる。

目に見えるもの、手に触れるものこそすべてだなどとは、私も思っていないが、この世ではない異世界は、彼らが考えるものとは別のものもあるように思う。
実際、私が立っている世界は、そういうところだ。
私の立ち位置からながめると、彼らが表現しているものはこの世のネガなだけであって、まったくの異世界というわけではないのがわかる。

座標軸で説明すると、アーティストたちが想像するのは、この世と縦軸で区切られる隣り合った世界だ。
しかし、中央の点だけでつながった対角の位置にある世界もある。
そこでは、「死や欠損」ではなく「完全な充足」こそがデフォルトであり、光のみがあたりを満たしている。
私はそこを、とても居心地の良い場所だと思っているのだが、闇に憧れるアーティストたちにしてみれば、最悪の世界なのかもしれない。

自己破壊願望の強いM的な人たちは、この闇と深く共鳴し合う。彼らもまた、この世から離脱したがっている。
しかし、ネガ世界は結局この世の陰でしかない。すべての法則は持ち越され、満たされぬものは永遠に満たされない。

しかし彼らは、その「満たされなさ」が好きなのだろう。
光の射さない闇の底で、この世の幸福が解除された感覚に身を浸すとき、あらゆるものから切り離された純粋な個我に出会う。そして、その個我もまた、やがては闇に呑み込まれて霧のように消えてしまう。
たぶん、そういう感覚が、なによりも彼らを幸福にしてくれるのだと思う。
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